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「彼はね、自分はテレビから生まれたと思っているんだ」
「えっ?」
モニターに映し出されたのは、真っ白な壁に覆われた個室にベッドの上でぼんやりと外を見やる少年。何本も管を付けた病人を指し医者は言う。
「もちろん本当にテレビから生まれたわけじゃない。彼が入院してるのは脳の病でなんだ。何故かわからないけど君を呼んでくれと。」
熱を帯びた口調で続ける。
「僕としてもそんな理由で君を呼び出すのはためらった」
「けれど医者として、それで彼の病に何らかの回復が見られるならと」
「人の、有名人以外の名前を呼んだのは君が初めてなんだよ、三太くん」
僕は彼を知らない。
年の頃は同じくらいだろうか、痩せてもいないし血色もいい。見た目には元気そうに見える。
「彼は自分が病気だと【思って】いる。けれど病気と【わかって】いるんじゃない。【思って】いるだけなんだ」
その区別はよくわからなかったが、要はアタマの病気だと言う。まだ病名もないそうだ。
「『携帯用テレビとしての機能が衰えた』、彼の設定ではこうなっている。だから体に、彼の言い回しならば『電池ではなくケーブルで』電気を直接流し込んでくれと。彼についている管からは点滴や輸血ではなく微弱な電気が流れているのだよ。もちろん人体に影響が出るほどではないが。しかし万一のため彼には直接触れないでくれ。何らかの原因で感電してしまわないとは言い切れないんだ、申し訳ないが」
そんなものごまかしてもわからないんじゃないか、電気なんて見えないもの。そう疑問を口にすれば
「わかってしまうんだ、彼には。脳だけでなく体全てで彼はテレビの子だと言っている。何度か試したことはあるさ。するとしばらくは平気そうだがすぐに倒れてしまうんだ。だから君は彼の話を聞いてくれるだけでいい。もしそれで病状に変化があるならいずれあの管がなくとも平気になるかもしれないし、自分のことをテレビから生まれたなんて言わなくなるかもしれない」
痛々しげに彼を見つめる医者にたくさんの疑問は投げかけられず、病室に足を踏み入れた。
「やあ、久しぶり」
病室にはいると窓の外を眺めていた少年が手招きをした。
「ごめんね、こんな格好で。そこに椅子あるから」
腕にぶら下がったコードを見やる彼に、座りなよと促され腰をかける。
「ごめん僕病気になっちゃった。鉄とプラスチックとガラスでできてても古くなったらガタがくるんだね」
「ごめんね、また会いに行こうと思ってたのに君から来てもらっちゃって」
ごめん、ごめん、と何かにつけて言うので、謝らないでと言うとまた、ごめん、と言った後にありがとう、と付け加えた。
話を聞くと、ブラウン管タイプの一番古いテレビから生まれたこと。地デジになって薄型テレビが量産されてスカイツリーが建ったのを見て倒れたこと。僕以外に思い出せる人がいなかったこと。そんな話を彼のくれたおやつを頬張りながら聞いた。
「だいたいテレビが人間に似てきたんだ。画面からだって飛び出すし、リモコンもその内なくなって声をかければ好きな番組を映してくれるようになるさ。」
確かにそうかもしれない。テレビが人間に似てきたせいで彼みたいな病気が出てきたんだとしたら、これからもっと増えるだろう。だからきっと医者は熱心だったのだ。彼だけでなく、これから先起こる悲劇を食い止めるために。
「少しの間なら大丈夫だから、ほら僕まだ純粋なテレビじゃないみたいだし」
腕に付けられた管をはずし握手をした。
その手は確かに温かく、人のぬくもりだった。
病室をあとにし、ようやく帰れるのかと思えば医者に引き止められた。まだ見ていてもらいたいと、再度モニターの前に案内される。今度はあくびをした彼が大切なはずの電源ボタンをきり、ごろりと横たわったあとピクリとも動かなくなった。
「寝ているときは仮死状態なんだ。テレビと一緒でエネルギーを必要としないと脳が思いこんでいる。」
「長く眠ったら死んじゃうんじゃないですか?」
「ああ、普通ならコールドスリープ、人にはまだ使われていないけれど、そうやって外気温も下げてやらないといけない。けれど彼は脳の働きだけである程度の期間仮死状態で過ごせてしまう。医学的には観察したいという医者はごまんといるだろう」
眠る彼の手を握らせてもらった。眠る前に管の電源を自分でオフにするから今はいくら触れても問題ないと言う。
触れた手は果たして冷たかった。けれどこれが仮死と言うものかしら。自分の知る死体、葬式でお別れだからと握らされた祖父のとはまた違うような気がして医者に振り返る。
「不思議な温度だろう?触り心地は人体のそれなのに、温度はまるでプラスチックのようだ。彼は仮死状態であってもテレビであろうとしているらしい」
まったく、こんな奇病は前代未聞だ。彼を治したいと言う医者は長く息を吐いた。
「けれど今日は収穫があった。君が彼と話してくれると、大分調子がいいようだ。また来てくれるかい?」
いいよ、と返事をすると白衣の下に黄色と黒のボーダー服を着た人好きのする感じの医者は、ありがとう、待ってるからねとそれは嬉しそうにはにかんだ。それは昔見たことがあるような不思議な笑顔だった。
管のついた彼と医者の顔を思い浮かべながら、自分にも誰かを助けることができることを嬉しく思い、いつもより胸を張って弟たちが待つ家路を急いだ。
その日から僕は頻繁に病院に行くこととなる。
「ああ君は僕の友達の山田くんだったんじゃないか」
老人が1人、テレビに話しかけている。古い友人のように。
真っ白な壁に覆われた病室が映るモニター越しに医者が家族に向けて言う。
「最近、老人がテレビに話しかけるようになったと思ったら、いつの間にか消えている事象が発生しているんです。中には一緒にいたお孫さんごと。そういったご家庭では必ずブラウン管型のテレビを捨てたばかりでですね。用心のため隔離させて頂いてるんです」
「今も君は恵まれない子にプレゼントをしてまわってるの?うん、そうだね、それが君だった。ねえ、僕もテレビに入ってみたいんだ、今度こそ。やった、じゃあその日を楽しみにしてるね、うん、みんなには内緒さ!」
いつ壊れてもおかしくない旧式テレビに向かって、夢物語は止まることを知らないように溢れ出ていた。
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